9月日記

タカノハススキ
 
 庭にタカノハススキが咲いている。株が毎年、増える。ススキの葉が、かすりの生地に横縞模様がついている。
 ITで調べると、「欧米のグラスガーデンでも大人気の斑(ふ)入りススキです。グリーンにクリームイエローの千代紙を思わせる古典的で美しい矢羽模様が入ります。
」という説明がありました。

【朝日を浴びるタカノハススキ】

【目次】
9月1日〜8日:航海日記
9月9日(日)「日本一周探訪の旅」感想
9月10日(月)日本一周探訪の旅(航海日記)前編
9月11日(火)日本一周探訪の旅(航海日記)後編
9月12日(水)腹が立つこと
9月13日(木)ええ格好できない?
9月14日(金)介助犬

9月15日(土)オセアニア大航海展
9月16日(日)世界の水問題

9月17日(月)いよいよ老人1年生
9月18日(火)茶番劇
9月19日(水)分別収集
9月20日(木)料金箱
9月21日(金)糖尿予備軍の同窓会
9月22日(土)めんどうな草むしり
9月23日(日)のどか村
9月24日(月)けもの道を行く
9月25日(火)地球一周船旅の説明会
9月26日(水)彼岸花を観る
9月27日(木)京都で会合
9月28日(金)浄瑠璃寺
9月29日(土)コンパクトカメラ
9月30日(日)D3&D300発表会






●9月30日(日)D3&D300発表会

 Nikonの新モデルD3&D300の発表会に出かけた。これらは最高機種だという。Nikonは2本立のラインで進んでいくための戦略のようだ。D3はD300の倍近い価格である。
 

 D200に比べて、D300は情報処理能力が速いという説明であった。メーカーは当初から数種のモデルを開発しておいて、順次、競合メーカーの動きを見ながら、新製品を打ち出していく。迷惑するのはユーザーであるが、多少、進化していると、ほしくなるのが一眼レフの世界である。

 ただ、こんなことをしていると、どこかが既存の流れをブレークスルーする製品が出てくると、温存していた技術が水泡に帰する。そのため、企業の開発姿勢、哲学が肝要である。

 テレビでプラズマと液晶が激しい競争を展開しているが、もし第3のテレビが凌駕する時代がくるかもしれない。そうなれば、松下もシャープも苦境に陥る可能性がある。そいう見方をしている部品、関連製品をつくっているあたりに出ている。へたをすれば、両社と心中する覚悟いるからだ。

 競争が製品を進化させ、価格を下げている面はあるが、限られた資源という枠組みのなかでは開発思想を変えないと、世界中から批判される心配もある。発表会ではいつも、有力カメラマンがNikonカメラを持ち上げて講演するが、いつも「これが最高です」と話す。そこには技術に対する思想、哲学が感じられない。要するに”太鼓もち”の悲しさである。


●9月29日(土)コンパクトカメラ

 古いコンパクトカメラが壊れたので、新しいコンパクトカメラを買った。CANONの9Gが今月21日に発売された。3箇所の店で操作を試したり、店員に質問を重ねていた。
「2週間もすれば、下がります」という言葉を信じて待っていたが、2週間は待てなかった。それでもポイントは13%から16%に上がっていた。

 9Gの前の機種、7Gは大変なヒットだったそうだ。9Gは画素数12,000でズーム、接写レンズ付きである。一眼レフ並の機能を備えている。ただ、レンズの解像度は一眼レフのほうが上だが、軽いのが年寄りに受けている。

 カメラにしても電化製品にしてもモデルチェンジが早すぎる。このことが日本人のせっかちなキャラクターを助長しているのではないか。30〜40年前はこうも激しくなかったし、40年近く愛用しているNIKONF2のカメラはいまでも十分、写るし、部品在庫もあるので、修理に応じてくれる。こうしたスローペースがNIKONのデジカメ戦略を遅らしたといわれるが、カメラに対する姿勢は必ず支持されると信じる。

 ドイツのメーカーは日本と逆にNIKON以上にモデルチェンジのスピードは遅いが、世界に君臨している。日本の電子、電化製品は世界一安いので、東京・秋葉原、大阪・日本橋の電化製品の街に東南アジアをはじめ、外国人がやってくる。

●9月28日(金)浄瑠璃寺

 昨日は浄瑠璃寺に彼岸花を求めて出かけた。道中の田んぼは稲穂で黄金色に染まっていた。そのあぜ道に彼岸花が咲いて、美しい光景を見せてくれた。

 浄瑠璃寺は訪れる人も少なく、静かな庭園に萩、スズキなど秋の花が咲いていた。そこから岩船寺に歩いて行った。こちらはさらに人が少ない。

 今回はいい写真が撮れないと思っていたら、食事のあと、興福寺の五重の塔の背後に満月が雲の合間に輝いていた。この時間帯、ほとんど人はいない。

 食事はかねてから行きたかった奈良町の「はり新」へ入った。ここは午後6時〜8時、メニューは弁当と天ぷら(10名以上)だから、実質、弁当のみである。食事の内容もさることながら、食事する部屋が町屋風のすばらしい空間である。


●9月27日(木)京都で会合

 昨日は久しぶりに京都で友人が独立後初めて、経営者3人と恒例の会食・懇談をした。会の名称、今後の活動などを決めた。これが本格的に動き出すと、またぞろ忙しくなる。

 その料理屋は滋賀の有名な招福楼で修行した板前というだけあって、大変、おいしい料理であった。話は政局、今後の会の活動や、その方向などに及んだ。

 政局では今回の内閣に京都から伊吹氏と谷垣氏が内閣と自民党の要職についたことで、京都が目立ったこと、二人のエピソードなど、日ごろ聞けない話であった。

 
●9月26日(水)彼岸花を観る


【仏隆寺から望む=9月25日撮影】

 昨日、彼岸花の撮影で、仏隆寺(奈良県宇陀市)に出かけた。昨年も29日に行ったので、今回は4日、早かった。いまが見ごろで、今週中は大丈夫のようだ。

 さすがに平日であっても、アマチャカメラマンが20,30人は来ていた。寺の境内には白い彼岸花が昨年より多く、咲いていた。

 このあたりの風景は日本の原風景が残っている。途中、道の駅もあって、新鮮な野菜を購入できる。

●9月25日(火)地球一周船旅の説明会

 この日、梅田のハービスプラザでピースボート第60回地球一周の船旅について説明会があった。約100名余りが参加。

 船内での生活、ルールなど、2時間ほど説明があった。今回の船旅には最高齢94歳、最少年3歳(家族同伴)、総勢900人参加だという。

 私の隣席の方は、2回目で一人旅だという。いくつか質問をした。船酔いについて、それが船酔いか、酒酔いか分からなかったそうだ。チップは1ドル紙幣を50枚持っていったが、それほどまで必要ではなかったようだ。オプショナルツアーの大半はキャンセルして船の中でできた友だちと自由行動に切り替えたので、チップは役立ったという。

 マラリヤ予防薬の副作用は人によってはきついようだ。ただ、予防薬を飲まず、仮にマラリヤにかかると、途中で船を降ろされ、現地で治療できない場合、帰国することになる。しかも、船舶保険も予防薬を飲んでいないことで、適用されない可能性があるとスタッフの一人が説明する。

 ただ、マラリヤについて旅行会社、ピースボートのスタッフによって、説明内容が多少、バラバラの感であった。この船旅は申込者が多く、自信があるのだろうか、全体に強気の態度を感じる。

●9月24日(月)けもの道を行く

 月1度の生駒古道会の登山に参加した。リーダーがけもの道を熟知している。近鉄・瓢箪山駅に集合、約30人余り、うち女性8割がカラフルな登山スタイルに身を固め、朝9時に出発。

 なるかわ支渓を登り、信貴ー生駒スカイラインの沿道に建つ希望の鐘を目指した。高校時代の山岳部のK氏が参加したので、二人で話し合いながら楽しく登山できた。

 希望の鐘で弁当を開き、奈良側に下ったあと、府民の森の「ぼくらの広場」に向かい、そこで解散となった。そこで二人で枚岡公園にあるレストランで生ビールでのどを潤したあと、別れた。

 人生はどのような小さいことであっても、一生懸命できることに取り組むことが幸福の道だと二人の議論の結論だった。


●9月23日(日)のどか村

 今日は秋分の日。昨日、信貴山の麓にある農業公園「のどか村」に出かけた。家からクルマで30分のところに、すばらしい公園があると気に入っている。

 ここへブルベリーを買いに出かけたが、時期が遅く、干しブルーベリーしかなかったが、これを購入。実は棒寒天で時々、トレイに流してケーキ状のカンテンに加工するが、プレインでは味気ないので、いつからか、生のブルーベリーを入れて固めている。ブルーベリーが眼にいいと信じているので、そういうことをしている。
 
 いつもは生のブルーベリーを多めに買って、冷凍庫に入れて少しずつ使う。今回は干したブルーベリーで代替した。

 公園はコスモスが花盛り。アゲハ蝶、キタテハが蜜を吸って乱舞していた。コスモスとアゲハ蝶を写真に撮った。いくつか、作品らしきものが撮れた。彼岸花もいまが盛りである。

 時間があったので、栗拾いと卵拾いをやってみた。栗は落ちている栗の殻を金バサミで引き裂いて中の実を出す。5〜6個で100円である。味は丹波栗に比較すると、足元にも及ばないが、野性味のある栗であった。

 卵は名古屋コーチンに似ているが、外国の産の鶏。網で囲った大きな鶏小屋に入って、生みたての卵を集める。1個50円とスーパー価格と比べると、かなり割高である。10個買った。そのほか、取れたての野菜が並べられている。

 ここのレストランは町にはないメニューがあって素朴だが、おいしい。


●9月22日(土)めんどうな草むしり

 都会で草むしりができる庭があることは、幸せだと思うべきかもしれないが、それでも草むしりは大変である。

 まず、隣の敷地(2m下)にはみ出していないか、たえず気を配らなければならない。相手は文句をいうわけではないが、こちらが注意することにこしたことはない。

 昨日は、萩と洋ヤマゴボウを刈り取った。萩の花は可憐でいかにも秋に似合う花である。ところが、この花をながめられるまで、はやしていると、刈るときにその種が手袋や服について、それを取るのが一仕事になるほど、厄介である。

 ヤマゴボウは食用になるが、洋ヤマゴボウは食用にならず、その実がやっかいなのである。紫の実がつぶれて服につくと、もうとれない。いずれにしても神経を使うのである。


●9月21日(金)糖尿予備軍の同窓会

 わが市では保健所が糖尿予備軍を集めて、プールで運動指導(3ヶ月)、その後、血糖値を測定することを行っている。この日、その指導を受けた16年、17年、18年の春、秋組の人たちを同窓会と称して追跡調査のため、プールに召集、約100人が集まった。

 1時間、プールで若い女性の指導を受けながら水中体操。その後、腹囲、体重、血圧、血液検査を受けた。メタボリックチェックを行うためである。さらに日ごろの生活習慣について、クイズやアンケートを実施。

 そのクイズで知ったのだが、野菜ジュースや青汁も飲みやすくするため、蜂蜜など糖分が多いので、補助的に使用するようにという助言があった。野菜30種類とPRしているから、これを飲めば安心とあるが、糖尿病予備軍にはダメという。とくにスポーツドリンクなどは糖分が多いそうだ。

 これだけの指導を無料でやってくれる。とくに血糖値測定は助かる。

●9月20日(木)料金箱

 いつも不思議というか、たいしたものだと感心していたのが、バスの料金箱である。プラスチックの箱に硬貨を放り込むが、運転手は一瞬のうちに料金を確認している。

 ある日、シニア女性客が下車前に料金240円分のコインを手のひらに広げ、確認したあと、運転手に同様に手のひらにのせて見せてから、箱に放り込んだ。

 「あの、20円不足していますよ」「今、確認したではないですか」「見ましたが・・」
 1分間ほどこんなやり取りが続いたあと、「いいです」と、運転手が折れてバスは出発した。

 コインは100円2枚、10円3枚、5円2枚であったので、運転手は読み違ったのだろうか。通常のパターンでないので、錯覚に陥ったのではないかと思う。

 お客が「間違いという証拠はあるのですか?」と食い下がっていたのは、自分で確認、その後、運転手にも見せて確かめていたからだと思われる。

 自動販売機のように、いくら放り込んだか確認の数字が表示できるようにしないと、こういうトラブルは今後も、ありうる。もし、小銭がなく、5円とか1円硬貨がもっと多い場合、運転手は確認できるのだろうか。
 財布に1万円札しかなくて、青ざめた記憶のある方もいるだろう。ワンマンカーの欠点である。たかが20円だが、それより心の問題であることをバス会社も知るべきである。


●9月19日(水)分別収集

 ゴミの収集について、最近、各市町村はきめ細かく分別収集している。小生のところでも、ペットボトルを集めるようになったが、同時に一般ゴミからプラスチックを分別、毎週、火曜日に近くの資源ゴミ回収場所に持っていかなければならなくなった。

 いまのプラスチックの分別がかなり難しい。透明の包装紙も大半がプラである。プラと表示しているものも増えた。それでも悩ましいものが多いし、箱の中にプラが混じっているものもあって、この分別に神経を使う。

 分別収集はいいのだが、缶は別な日になっている。トレイ、段ボールは扱わない。電池とか蛍光灯は電気店に持っていくしかない。ゴミ戦争に参加していると思えばいいのだが、プラ表示などは統一して、もっと分かりやすい表示にすべきだ。

●9月18日(火)茶番劇

 自民党の総裁選が麻生氏と福田氏で争われている。福田氏が立つと、他の候補、とくに一番先に手をあげた額賀氏も結局、福田氏支持に回った。

 麻生氏一人でどうするのかと思ったが、劣勢のなかで立ったことは評価できる。福田氏なら絶対にできないことである。

 福田氏の演説には「〜したい」とあっても、必ず「〜する」という言い方がない。また「〜ですね」と、「ね」を語尾につけていることが多いが、評論家的な言い方で、小泉氏のような断定的な表現がない。恐らく、総理になっても「なにをしたのか」ということで、終わると想像する。

 今回、仮に福田氏が勝っても、麻生氏を外務大臣か、幹事長で処遇するような気がする。したがって、この総裁選は茶番劇である。二人の論戦に争点がほとんどなく、まさに自民劇場を演じているように見える。


●9月17日(月)いよいよ老人1年生

 本日は敬老の日である。小生も老人となったことを認識させられた。まず、介護保険証が送られてきたときに、「ついに介護を受ける資格ができた」と、複雑な気持ちになった。

 自治会から敬老の品(タオル)が届けられた。以前、自治会の街区長をしていたので、街区の老人を確認して配っていたので、今度はいただく方に回った。

 年金について社保庁から老齢年金への切り替えの葉書がきた。要は、これまでと変わらないが、1年以上、受け取りを延ばせば金利をつけるというものである。なんのために、そうしたことをするのか、分からないが、金利について問い合わせると、これが結構、高いのである。もちろん、延期期間中は受け取れないのだから、その間に亡くなれば、無になる。

●9月16日(日)世界の水問題

 雑誌『商工会』9月号の巻頭コラムに書いた拙文です。ぜひ、水問題に関心を持っていただきたいと思って転載しました。水問題に詳しい方には物足りないと思いますが・・・。

次の戦争原因は「水」

 コウノトリ―をTVで見た方も多いだろう。今年の5月、兵庫県・豊岡市で放鳥したコウノトリが雛を誕生、育てているニュースが流されたからだ。かつては全国にいたコウノトリは都市化の進展、山林伐採、農薬使用で絶滅。過疎化が進むなかで同市は長年にわたりコウノトリの野生化に取り組んできたことが、43年ぶりの快挙となった。

 これには水が深く関わっている。水は農業、工業、生活用水に大別されるが、農業用水の比率が高い。近年、田んぼでドジョウやカエルを見なくなったが、それは農薬の影響である。このため、コウノトリのエサがなくなり絶滅した。同市はこれを逆転させてドジョウやカエルが住める田んぼづくりから取り組んだ。当然、収穫量は減り、農家は反対する。

 同市は環境経済戦略を進め、農薬を使わない農家の支援に乗り出した。やがてコウノトリを育む農法が普及、減農薬、無農薬米が脚光を浴び、高付加価値の米として消費者に歓迎されている。太陽電池を生産する大手企業はコウノトリのマークをつけてヨーロッパに輸出、環境に優しい商品として人気を集めている。

 前置きが長くなったが、いま水問題が石油以上に深刻になっている。コウノトリ以上に人間が安全な水を利用できなくなっている。しかもその9割がアジア・アフリカに集中している。急速な工業化の発展で水汚染が進み、開発途上国の95%が下水処理施設をもたず、垂れ流している。それは貧困国、貧困層に集中、乳幼児の死亡数は年間340万人にものぼる。

 先ごろ国連人口基金の「アジアの水が危ない」というテーマで市民セミナーが開かれ、バングラディシュ、パキスタン、フィリッピン、中国など9カ国の大都市自治体の水管理職員が集まってプレゼンを行った。聴衆の中学生が「日本の水道水のように、がぶ飲みできる国はありますか」と質問した。出席した国の担当者は「No」と答えた。

 山紫水明とは、日本にかろうじて通用する言葉であろう。中国の揚子江を船で上った時、あまりの濁流に日本の河川の美しさを思い出したことがあった。その日本の河川も農業、工業及び生活排水で汚れ、衛生処理上、塩素使用量が増え、がん発生物質のトリハロメタンが増加、がぶ飲みできる状態ではなくなってきた。

 かつて『ユダヤ人と日本人』(イザヤ・ベンダサン著)で日本人は水と安全はタダだと思っていると指摘されたことがある。そのころペットボトルの水が売られるとは想像もできなかった。いまでは輸入の水が増えているという。安全についても、かつての日本ではカギを掛け忘れてもドロボウに入られないと、日本人はその安全性を誇りにしていた。いまではすっかり様変わり、セキュリティが大きな関心事になっている。セコムのラベルが増える一方である。

 世界人口65億人の2割、13億人しか安全な飲み水か利用できていない。しかも穀物総生産量22億tのうち、10億人が11tを食べ、55億人が残り半分の11tを食べているにすぎない。水不足は食糧生産にも悪影響を与えている。日本の食糧自給率は40%を割る状態である。食糧の輸入が増えれば、それだけ日本人が海外の農業用水を享受していることになる。穀物はもとより、加工食品も多量の水を使っている。それは開発途上国の人々の水不足に拍車をかけることになる。

 昔から水利権をめぐっての争い、あるいは戦争になったことがある。世界銀行のイスマエル・セラゲルティン副総裁が1995年の記者会見で「20世紀は石油争奪で戦争が勃発したが、21世紀には水獲得問題が原因となって戦争が起こる可能性が高い」と、発言したことが世界中を駆け巡った。

 日本にいると、まさかと思うが、いま河川の汚染、地下水の減量、砂漠の拡大など深刻である。「五輪の湖が消えた」(朝日新聞5月9日付)という見出しでかつてメルボルン五輪のボート競技が行われた湖が干しあがってしまった写真は衝撃を与えた。日本の下水処理も雨水と汚水に分けられ一層、きめ細かく対策が行われているが、味噌汁1杯の汚水処理にその数十倍の水が使われるのだから、日本人は一層、生活レベルでも水を意識すべきであろう。




●9月15日(土)オセアニア大航海展

 万博公園内にある国立民族博物館が開館30年記念特別展「オセアニア大航海展」を9月13日から12月11日まで開催している。
  

 これに先立ち、披露宴が開かれ招かれ出かけた。オセアニアはポリネシア、ニューカドレニア、グアムなどはよく知られている。しかし、オセアニアには多くの島国があってそれぞれ異なる文化をもって歩んでいる。

 今回は航海や移動に果たした役割の偉大さを示すためにオーストロネシアンと呼ばれる人々の歴史と現在を紹介している。オーストロネシアンは、台湾から東南アジアを経て、南太平洋を航海し、東は南米に近いラバヌイ(イースター島)まで広がっている。西はまだかスカルまで及んでいる。

 この展示会はニュージランドのオークランド博物館が制作した「ヴォカ モアナ」を膨らましたかたちの内容になっている。日ごろ、なかなかお目にかかれない文化に接することができた。


●9月14日(金)介助犬

 先日、ユニークな企業の創業者・社長をインタビューした。苦難の末、世界のオンリーワン企業をつくりあげ、2年後、65歳で引退することを決めている。

 そのあと、介助犬による寝たきり老人を手助けする社会福祉センターを設立、第二の人生を夢見ている。一見、企業と無関係な世界に進出して、大丈夫かと思うが、長年、警察犬ラブらドールの訓練を余技で行ってきた。2回も優勝する腕前の持ち主である。

 介助犬は家の中で寝たきりの老人を介助する。外部の仕事は人手によって行う。犬は家庭内のことは、ほとんどできるという。ユニークな経営者は介護でもユニークな発想をするものだと感心した。


●9月13日(木)ええ格好できない?

 安倍首相辞任のニュースは全国民に衝撃を与えたが、一方で、国民はさもあらんという冷静な受け取り方も見せている。

 辞任の理由が分からないというのが、本当のところだが、次期首相の有力候補の麻生・幹事長だけは3日ほど前から聞いていたとTVで語っていた。もしそうなら、これほど重大なことを誰にも相談することなく、辞める決断は本人の問題だと考え、放置しておいたのだろうか。

 私は安倍首相がシドニーのAPEC会議で、ブッシュ大統領との会談でテロ特措法延長を強硬に約束され、帰国後、身動きがとれないので辞めるしか道がなかったと推察する。健康問題はあとで付随してきたものだろう。

 気位の高い安倍首相は、ええ格好できないことで、辞任したと思わざるをえない。国民に説明できない辞任は政治生命をなくしたのと同じである。

●9月12日(水)腹が立つこと

 いつの時代も、過剰PR,まやかしのキャッチコピー、誇大広告はある。消費者も賢くなり、そう簡単にのらなくなっているが、あとをたたない。

 最近、腹がたったのが、ドコモの「ファミリー割引、基本使用料 半額に!」に、契約更新を決断した時のことである。ソフトバンクは無料にしているのに、トップのドコモが据え置いているのは納得できないと思っていた。すると、まもなく、上記のPRを大々的に行った。
 窓口で、交渉すると、「すでに他の割引が適用されていますので、今回は520円の割引です。」というのである。基本料金の半額を文字通り受け取ると、1,800円の割引になるが、それが520円だという。しかも、2年間の縛りで、その期間内に解約すると9,600円を支払わなければならない。

 「これは”割引”を差し引いた基本料金を半額と書かないと、まやかしと言われても仕方がないだろう」というと、「そうですね」と認める。しかし、本社の意向を変えることはできない。だけど、こうした声を上に伝える努力をするかどうか、それが会社の風土を形成する。
 それにしても携帯の料金は複雑過ぎる。ここに携帯の問題点が隠されている。また、解約料金が高いので、せっかくのポータビリティに移行しながら、いったん決めた携帯を変えることが難しい。腹立たしいことだ。
 


●9月11日(火)日本一周探訪の旅(航海日記)後編

 
 
【ビーナス号から見た屋久島=珍しく快晴であった】

95日(水)金沢に寄港(晴)

 4時半、起床。朝日は雲に隠れ撮れなかった。6時にアーリーモーニングのティーを飲む。630分、8階デッキの周囲約150mほどをウォーキング。7時からストレッチ体操、第1、第2体操を20分。その後、洗濯機に洗濯物を投げ入れて、朝食。

 9時から映画「きみに読む物語」を観ている間、10時半に金沢に入港。この映画は以前に観ていたが、途中までそのことに気付かなかった。映画は認知症の物語である。ここ金沢で降りる人、逆に乗る人たちがいる。この場合、3泊4日の旅行となる。現役だとこの程度しか休みが取れないので仕方ないのだろう。降りる人に比べて乗る人の方が多いようだ。約100人が乗船。

 午後からは夜の盆踊り大会に向けて教室が開かれた。私は写真の整理、パワーポイントの作成で時間を費やした。夕方、ミニジャズコンサートを聴く。狭い会場は立つほどにいっぱいである。この日から夕食は2回制となり、私は730分からの2回目の組である。

 乗船して初めてT会長夫妻と同じテーブルで会食、決められた食事時間いっぱい話し込んだ。

「私のようなタイプ人間は船旅で時間を潰すのが苦痛です」と、話しておられた。確かに、かなりの社交性があるか、なにか趣味がないと船旅は退屈な時間の旅になる。

 夜、9時からは盆踊りである。ゲームのあと、櫓の周りを輪になって、東京音頭、炭坑節、及び函館いか音頭を参加者の多くが踊り興じた。浴衣持参の人も多く、華やいだひと時であった。美人の外国人スタッフとツショットに収められたのが収穫であった。

9月6日(木)福江観光(晴時々曇り)

台風9号が太平洋側を北上しているとき、ヴィーナス号は日本海を五島列島に向かって南下、大波に見舞われずにすんだ。毎朝の体操、朝食、そして午前中は、キャプテントークということで、船長の講演があった。自ら話がへただというだけあって、面白くなかった。ただ、船長になり立てで、45歳の若さには驚いた。

福江では五島高校ブラスバンドによる歓迎、歓送演奏が行われた。この後、下船、福江観光に出かけた。旅も終わりに近づいた。バスガイドが抜群にうまかった。

午後、鬼岳(おんたけ)、鎧瀬溶岩海岸、堂崎天主堂をバスで巡った。この五島に4つの高校があることに驚いた。鬼岳から見る西海国立公園の海はすばらしかった。

 9月7日(金)屋久島

 屋久島トレッキングの日である。朝9時にバンに集合。驚いたことに女性Kさんと二人だけの参加である。羽曳野市に住んでいて、周辺の山を専門家のガイドでよく登っているそうだ。この日のガイドは太田五雄という屋久島でこの人を知らないともぐりだと言われる人だった。

 新日鉄に勤務していたが57歳のとき、脱サラ、ライフワークで取り組んでいた屋久島のしごとをはじめ、世界の山に出かけている。写真集、山の本、屋久島の本も執筆している。屋久島の地図がなかったころから研究、自分でつくった地図が昭文社から出ているという。

 白谷雲水峡から原生林を歩いた。楠川歩道、七本杉など7kmの道のり。縄文杉へはこの3倍の道のりだという。屋久島を歩いた人でこれまで雨に会わなかった人を知らない。365日、雨が降ると聞いていた。それが快晴に近い天候だった。川のせせらぎを聞きながら食べた弁当は格別に美味しかった。

 結局、屋久島の魅力はなんだと、自問したが、それは「苔むす古木の山であること。野生のサル、鹿も見ることができ、植物の種類が多い」ことだった。屋久杉の下は子木が育たないので、数多くの苔が岩から木まで覆っている。この風景が屋久島である。もののけ姫のモデル風景になったところでもあり、幻想的である。

 今回、デジカメで撮ったと思っていたカメラにメモリが入っておらず、一眼レフで撮ったリバーサルフィルムだけというお粗末なこともあった。

夜は津軽三味線を楽しんだあと、T夫妻と最後の夜を歓談して過ごした。

9月8日(土)旅を終えて

 最後の日である。屋久島を午後4時に出港、翌日午後3時に神戸港に着く。

今回の船旅でいろいろ学習できた。とくに酔い止めの薬を飲むタイミングなど、今後に役立つこともあった。

世界遺産に選ばれるためには、政府は供託金が必要で、地元自治体は一切、負担はない。選定されると、いわば観光産業の振興となるが、その良し悪しは議論のあるところである。屋久島は世界遺産前は、せいぜい年間3万人だったが、いまはその10倍に膨れている。もう後戻りはできないほど、経済に組み込まれている。日本はこの条約を批准したのは世界で最後の方で、経済に関係ないところでの鈍感さを痛感する。文化や環境、景観保護についてはまさに後進国である。(終わり)


●9月10日(月)日本一周探訪の旅(航海日記)前編

 読者の方にお役に立つかどうか、船旅を考えておられる方には多少、参考になるだろうとの思いで、航海日記を2回に分けて掲載します。

 航路は神戸港発―釧路港(知床)―能代港(白神山地)―福江港(五島列島)―宮之浦港・屋久島―神戸港の順路です。9泊10日の行程です。


【知床の5湖のうちの1湖】

8
30日(木)前泊Pacific Venus号に乗り込む)

 午後2時、自宅を出る。三宮でポートライナーに乗り換え、ポートターミナル駅で手荷物を預け、三宮に戻る。元町まで散策、夕方の中華街を撮る。広東料理「民生」で食事をして三宮まで戻り、再びポートターミナル駅へ行く。「民生」は開店前から人が待っていたのと、かなり繁盛していると判断して入ったが、間違いがなかった。

 乗船受付は午後9時。前泊組みが乗り込む。とくに持ち込み検査はない。旅なれた人が多いことが、会話から分かる。今回の客船Pacific Venus号は26,518tで、これを利用して世界中を旅をしている人も多いようだ。

 この日、釜山から午後5時に神戸港に入港した。建造が1998年(IHI製造)だから比較的、新しい。船内も結構、清潔に維持されていた。

 船内でパソコンは使えた。ただ、宅急便で送った荷物が部屋に届いたのは11時過ぎ、それも自分で探して催促してようやく運ばれた。展望風呂が24時までオープン、船の中を考えれば、まずまずの広さである。

 8月31日(金)出港

 朝6時起床、朝食は7時から。ビジネスホテル並み以上の内容であった。同じテーブルに
一人旅の女性二
人が同席した。話を聞いていると、東京から来たという70歳に見える女性は何回も乗っているという。もう一人は横浜から来たという。船旅も慣れると楽しいそうだ。晩年を楽しんでいる。あとで分かったが、全国から集まっている。

 朝9時に当日組が乗り込む。10時出港に合わせて、神戸市消防音楽隊が歓送演奏して見送ってくれる。船が岸壁を離れると、船からテープを投げて(船側のサービス)見送りの人たちと別れを告げるのだが、このテープが対岸になかなか届かない。船旅もなかなかいいものだと思う。

 続いて、ホールでオリエンテーション&避難訓練があった。実際に指定された救命艇のところまで、部屋から救命胴衣をつけて集まるのである。それが終わると、11時半からの昼食である。

 進行方向に向けて右舷側のテーブルに座った。まだ淡路島がすぐそばに見える。紀淡海峡を経て、一路北進。船はほとんど揺れを感じない。

 卓球で1時間ほど汗を流し、ジャグジーに浸かった。青空の下、人はほとんどいない。シニアが多いので、こういうものはあまり利用しないのか、それとも水着を着用しないとダメなので持参していないのかと思ったりした。そのフロアーに展望風呂があるので、ちょうどいいのである。
 夕日を撮った。曇りで写真にはならない。
 夕食、量が多い。多くの女性はドレスアップしていた。全体に華やいだ感じである。これが女性にとって最大の楽しみだろう。

 食後、腹話術師・いっこく堂のショウを見た。名前も知らなかったが、吉本よりよほど品があって、芸もたいしたものである。最近、出したCDは子どもたちをはじめ、みんなを元気づけるもので、自分で作詞したそうだ。

91日(土)船酔い(荒天)

 朝、6時起床。8階のデッキの周りをウオーキング。風が強い。カメラをかついで歩く。80歳になる夫人と歩きながら話した。

「お元気ですね。よく船に乗られるのですか」
「もう、何回も乗っています。日本にクルーザがなかったときは、外国船に乗っていました」「エリザベス号も?」
「はい、日本近海ですが・・。この前、日本丸で世界一周してきました」
「すごいですね。船旅がいいですか」
「そらそうですよ。荷物を持たないのがいいですね。」
「・・・」
「80歳を超えて、腰が曲がり、いつまでも元気でおれないので、今のうちに乗っておこうと思っています」
「いつまでもお元気で」

ウーキングしながら交わした会話の一部である。

 7時からストレッチ体操と第1、第2体操である。とにかく船上生活は運動不足になるので、体を動かすイベントには参加した。2回目の朝食。和食と洋食があるが、それぞれ好きなモノは取れる。

 9時からロープワーク教室に参加した。ロープの結び方を教えてくれる。遭難の時、体にロープを巻きつけて引き上げるシーンを時々、見るが、あれは「もやい結び」といって、体を吊っても締め付けないのである。いくつか学んだが、すぐ忘れる。

 9時〜11時、オープンバーでティータイム、好みのドリンクサービスを受けられる。ウエイトレスは全員、外国人。ウクライナなど旧ソ連からの美人の女性ばかりである。11時からオーバルボールに参加。なんのことはない、2mの距離からソフトボールぐらいの大きさのオーバル(楕円形)球を真ん中の四画の枠に4方向から順番に入れる。真ん中が5点、それより外枠の四画が3点、その周囲が1点となっており、チームを組んで枠内に載る球の数と点数を競うゲームである。まったく老人向きのゲームで、体が弱っている人でもできる。 恥ずかしながら一度もオーバル(楕円形)球を載せることができなかった。

 午後2時から「世界自然遺産・知床の魅力と見所」の講演を聞いた。釧路で21日のオプションに参加、その時、知床まで案内してくれるので、知っておく方がいいと考えた。ところが実際の講演(世界遺産研究所所長古田氏)は、世界遺産についての説明がほとんどで、話も面白くなく、知床は時間切れというお粗末なものだった。女房が船酔いでダウン、あわててトラベルミンを飲んだが、時すでに遅かった。

 操舵室(ブリッジ)が開放されたので、見学した。「いまの状況は波がきついです」ということで、船酔いも仕方がないように思えた。後で聞くと、3mの波だった。

 今日はこのクルーで唯一、インフォーマルコードといって、男性はネクタイをしないと、船長のウェルカムパーティから夕食、そして就寝までの間、どのイベントにも参加できない。フロントに、「ジャケットの下にカラーシャツではいけないのか」とたずねると、「No」であった。

 船酔いから十分、回復していないが、夫婦でウェルカムパーティに参加した。まさかと、思いながらよく見ると、現役のころ、お世話になったプレスメーカーのT社長、現会長夫妻と会った。

「だれかと会うとは思っていました。顔は知っているんですが、名前を思い出せないのです(あとで分かったが、私のことである)」
「いや、驚きました。もちろん、T会長は特別室にお泊りでしょう」
「いいえ、6階です」
「では、私と同じじゃないですか。」
「はい」

社長時代から、堅実的であった印象だが、船旅でも同じ姿勢だと思った。今回、船旅は初めてで、奥様によれば「船の旅行は卒業旅行以来ですわ」ということで、社長時代もビジネスで海外へ出かけた以外は行っていないということだった。
「知り合いがいて安心です。部屋は629です」
 乗船中、2回、会食をした。
 

夕食は一人で出かけた。ここでも正装でないと、入れない。席も案内通りに座らなければならなかった。私の座ったテーブルには88歳のお母さんを車椅子で連れてきている娘さん(といっても60歳代である)だった。

「(お母さんの)夫が疲れたといって、部屋で寝ています。それで母が心配しています」
「偉いですね。そうですか、神戸から来られたのですか」
 二人の面倒はさすがにみられないという。レストランの外人スタッフ(大半がフィリッピン人の美男子)も時々、お母さんを励ましている。よく、この船に乗っているそうだ。

人間は山頭火のように旅をしたい願望をもっているのだろう。私の両親の場合、まったく旅をしなかったので、分からなかったが・・・。

 92日(日)映画鑑賞

 船は秋雨前線と低気圧の影響で揺れている。夜中も揺れたが、なんとか眠れた。朝5時起床。ウオーキングとストレッチ体操する。 

朝食のあと、映画「博士の愛した数式」を見た。映画は毎日3回、上映されている。数学の面白さは分かっていたが、映画のような授業であれば、もっと興味が持てたと思う。それにしても久しぶりに涙を流す映画であった。

 船は予定より1時間遅れで釧路港に接岸。港には救急車が出ていた。後で聞いた話では、体調を崩して帰路についた人もいたそうだ。昨晩の船の揺れは相当だったことが分かる。

 釧路での見学はオプションごとに分かれてバスに乗り込んだ。タクシーを予約しておいて、それで巡る組もある。12日の知床の旅に参加。天気は晴、夕日は見られなかったが、夕焼けはさすがに美しかった。知床の根っこのところ、ウトロ(宇登呂)のプリンスホテルに投宿。ホテルの6階の窓を開けて撮影。釧路から知床へバスで4時間もかかる。北海道の道路はほとんど信号がない。高速道路は必要がない。自動車の数も少ない。

630分、風呂に入ったが、泊まり客で一杯であった。
 7時、夕食。毛がにが一杯出た。ジャガイモ焼酎「斜里岳」を飲んだ。あっさりした味だった。

 朝、6時に周囲を散策。大きな岩の塊のオロロン?岩を見たかった。波に打たれた岩はアートのような固い塊で、ウミネコの棲家になっていた。近くのコンビニで北海道新聞を購入。久しぶりに新聞を見た。「遠藤農水相が辞任」がトップ記事であった。これからも政治家のカネ問題は噴出するだろ。

 知床は熊が多いとバスガイドは言うが、最後まで見ることはなかった。野生の鹿と丹頂(鶴とはいわないそうだ)は車中から見られた。鹿は繁殖し過ぎているので、捕獲して鹿肉として処理、売っている。斜里岳の山並みが美しい。

 9月3日(月)誕生祝い(曇り後、雨)

 朝、8時バスで出発。車中から見える花、白い「反魂草(ハンコンソウ)」、黄色の「大イタドリの花」が美しい。海と白樺(シラカンバ、ダテカンバともいい、みんな同じ木である)が同じ場所で見える。これは知床の緯度が高いからである。オシンコシシンの滝に立ち寄った。冬は凍るそうだ。冬は流氷を見物する観光客が多いところである。

 バスは知床5湖に向かった。うち1,2湖の周囲を歩いた。湖というより、池の大きさである。世界自然遺産に選ばれている知床は、一見に値するほどのこともない。木道が整備されているので歩きやすい。5湖の奥は熊が出没して危険だそうだ。

 昼食は川湯温泉のホテル。量が多く、サケ尽くしであった。近くに硫黄の山から緑色の水が流れていた。

 知床峠は雨と霧で視界がゼロ。カラフトマスが遡上する川を見た。川が黒くなるほどマスが群れながら川を上っていた。いまもスケトウタラの漁業と自然保護の両立が問題になっているそうだ。また、川の砂防ダムでサケの遡上が阻害されるので、ダムの撤去を命じられているという。

 最後に釧路湿原でバスを降りたが、雨と霧でほとんど見えない。
 客船に17時、到着。洗濯、入浴をすまして夕食会場へ行った。今日は私の誕生日ということで、船長からお祝いのメッセージ・カードが部屋に届いていた。

テーブルにつくと間もなく、音楽隊が「Happy Birth Day」の曲を演奏しながら乗客が見守る中、私のテーブルにローソク付のケーキが厳かに届けられた。みんなが拍手してお祝いをしてくれた。

このクルーで二人目の誕生日だそうだ(結局、3人いた)。船長まで席にお祝いの言葉をかけてくれた。知り合いの中堅企業のT会長もお酒を片手にテーブルに来てくれた。

私の名前を忘れてしまい、部屋に電話もできず、気にしていたという。こういうことがなければ、会わずじまいだったかも。誕生日のおかげと縁である。同じテーブルの人たちにケーキが配られた。77歳と70歳の女性であったが、お二人とも若々しい。その後、船内ではよく顔を合わし、その度にケーキのお礼を言われた。
 

【白神山地のブナ林を散策】

 94日(火)白神山地(晴)

 朝5時に起床。朝日はすでに昇っていた。体操をして朝食に出かけた。津軽海峡を通過、さらに南下。天気は良好、波も穏やかである。

 午前中は白神山地のレクチャー。8000年の歴史をもつブナ林が特色。この自然保護運動をきっかけに、1992年、日本は世界自然遺産条約を批准、1993年登録したものである。一般には秋田側からは入山できない。山地は青森74%、秋田26%の比率でまたがっている。この点をネイチャーウオーキングでガイドに聞くと、両県とも許可制になっているということだった。ただ、コアーの部分はけもの道しかなく、ツキノワグマが出没するので、非常に危険だという。

 釧路港でもそうだったが、能代港にヴィーナス号が寄航することは地元ニュースになる。釧路では40名の希望者を客船に招き、船内見学をしていた。能代では女性4人による和太鼓で歓迎された。当然、これだけの客船が寄港することは地元経済にも多少、寄与する計算が働いていると思われる。

 オプションツアーはブナ林を散策するネイチャーウオーキング、男鹿半島観光、12湖(実際は23湖あるが、見えるのが12湖だと見学者から聞いた)観光の3コースで、一番人気は12湖観光であった。そこは世界遺産の指定場所で「青い池」(エメラルド色)に多くの人は魅かれたようだ。ネイチャーウオーキングは約1時間、白神山地に連なるブナ林を散策するものだった。ブナ林は大木もあって、すばらしかった。熊のつめ跡もところどころに散見された。熊はブナの実(非常に小粒)をかき集め(熊の手はそこからきているという)て、好んで食べるそうだ。

 ブナは「撫」と書くように、ほとんど役に立たない木である。このため自然とブナ林が残った。白神山地の上にはいつも雲がたなびいていて、飛行機からはまず、見えないそうだ。

 
95日(水)金沢に寄港(晴)

 4時半、起床。朝日は雲に隠れ撮れなかった。6時にアーリーモーニングのティーを飲。
630分、8階デッキの周囲約150mほどをウォーキング。7時からストレッチ体操、第1、第2体操を20分。その後、洗濯機に洗濯物を投げ入れて、朝食。

 9時から映画「きみに読む物語」を観ている間、10時半に金沢に入港。この映画は以前に観ていたが、途中までそのことに気付かなかった。映画は認知症の物語である。ここ金沢で降りる人、逆に乗る人たちがいる。この場合、3泊4日の旅行となる。現役だとこの程度しか休みが取れないので仕方ないのだろう。降りる人に比べて乗る人の方が多いようだ。約100人が乗船。

 午後からは夜の盆踊り大会に向けて教室が開かれた。私は写真の整理、パワーポイントの作成で時間を費やした。夕方、ミニジャズコンサートを聴く。狭い会場は立つほどにいっぱいである。この日から夕食は2回制となり、私は730分からの2回目の組である。

 乗船して初めてT会長夫妻と同じテーブルで会食、決められた食事時間いっぱい話し込んだ。

「私のようなタイプ人間は船旅で時間を潰すのが苦痛です」と、話しておられた。確かに、かなりの社交性があるか、なにか趣味がないと船旅は退屈な時間の旅になる。

 夜、9時からは盆踊りである。ゲームのあと、櫓の周りを輪になって、東京音頭、炭坑節、及び函館いか音頭を参加者の多くが踊り興じた。浴衣持参の人も多く、華やいだひと時であった。美人の外国人スタッフとツショットに収められたのが収穫であった。
(続きは、11日の日記に掲載)

●9月1日(土)日本一周の旅

 帰宅後、航海日記を掲載します。


【知床の入り口、ウトロ(宇登路)の夕焼け=ホテルの部屋の窓から撮影】

9月9日(日)「日本一周探訪の旅」感想
  
   世界自然遺産て、何?

今回の船旅(釧路・知床、白神山地、屋久島)は結論的に言えば、船旅という一つの経験をした事実だけで、とくに感動したとか、充実したことはなかった。それぞれの場所を訪れる観光や写真撮影が目的なら船旅は時間制限があって、適さないが効率的に巡るには向いている。

 今回、世界自然遺産の地、三箇所を訪れたが、それぞれの景観が必ずしもすばらしいということではない。それらの地が長年、保護され、あるいは神のいる場所(山の神を祀る)であったことから、立ち入れない場所であったり、熊など危険な動物が出没するなどの理由から、開発の手が伸びず自然と保護された地であることを感じる。

 そこには原生や数多くの固有の生物が生息している点が評価されている。そのことは学術的に意味があっても、観光に向いているかどうかは、別問題である。観光はあとから付随してきたものだから設備、アクセスは課題として抱えている。それでも人が集まるので、地元は歓迎(とくに観光業者)している。

今回の船旅の様子は、人生の最後、あがき(いや失礼、ごほうび)でジャンプしようと思っている人たちが集っているようにも見える。老人たちは(もちろん、私も含めて)膨大な空白の時間を埋める作業をしながら、どこで途絶えるかを知らないまま生きている。船内のイベントもその手伝いをしている。

定年後やリタイヤーしてボランティア活動、山登りに参加している老人たちも同じである。これが高齢化社会の現実である。50年前なら、ほとんどの人が世を去っていたが、70歳、80歳と寿命が伸び、空白の時間が長くなり、それに意味をもたせることが難しくなっている。好きなことをすれば良いというが、それには気力、経済力、ライフワーク的な仕事、そして健康という条件が備わっていないとできない。大半の凡人には所詮、難しい話なのだ。だから定年後の有意義な過ごし方の本が売れる所以でもある。

今回の船旅の平均年齢は70歳前後、子どもが一人も乗っていない(コースや期間によっては乗っているそうだ)。若者のカップルは見た限り、一組だけだ。かえって場違いのところに来たように見える。(途中、金沢からの乗船組には若いカップルも比較的、多かった。3泊4日なら現役でも可能だろう)

人は最後に旅願望をもつのだろうか。とにかく、参加者はおしなべて元気だ。船旅は飛行機と違って、衣類や靴をいくつも持ち込め(宅配便を使って)、楽しいというご婦人が多い。枯れ木に花の感がするが、気分はいいのだろう。とくに車イスの方や、人工透析の器具を引っ張りながら歩いている姿をみると、幸せだろうと思う。豪華客船はいわば海に浮かぶシティホテルといった感じのものだ。ただ、時々、揺れるので、船酔いになると、二度と乗船は嫌になるらしいが、しばらくすると、そのことを忘れてしまう。

この人たち(私も含めて)は、まったく生産的なことはしていない。ただ、時間も含めて浪費しているだけである。それでも資本主義社会では消費の面で多少、貢献しているのだろうが・・・。

 @ 今回、乗船したビーナス号は飛鳥と日本丸の中間に位置するようだ。ピースボートは知っていても、今回の参加者には関心の埒外にあるようだ。ビーナス号は全体の中で中の上という印象だ。船旅に慣れた人が多い。車イスで来ている人も数人いた。
 
 A   船旅は船で過ごす時間が長いので、気を長く持ち、忍耐力が求められる。ざっとした感じは、ゆとり組み(本当の富裕層は自分たちの船でクルージングしている)6割、残りが人生の「ごくろうさんの旅」組みである。6割のなかで品性を感じるのが半分ぐらい。4割の「ごくろうさんの旅」組みの中にも品性のいい人は多い。

以上がざっとした感想です。次回から航海日記を2回に分けて掲載します。